中宮町の住宅(安藤忠雄氏の生家)
House in Nakamiya-cho - Tadao Ando
安藤忠雄氏が4歳の頃、疎開先から移り住んだ祖父母宅。
実質的なデビュー作「住吉の長屋」と同じく、三軒長屋の真ん中部分に位置し、敷地の形状もほぼ同じ、間口2間・奥行き8間。
安藤氏が中学生の頃、屋根裏部分を完全な2階へと増築する際の大工手伝いからはじまり、室内の改装など手を加えながら45歳を迎えるまで住み続けた。
暗くて狭く、冬に寒く、夏は暑い、そんな中でも後ろ庭から差し込むわずかな光や通風で四季を感じ、難しい住まいの中で工夫しながらの生活。
この住環境と同じく、2階の増築時、天井をはがしたときに差し込んだ光が、普段見慣れた薄暗い室内を一変させたことに衝撃を受けたことが、光の教会など後の作品に大きな影響を及ぼしている。
周辺は木工所や鉄工所など、町工場が軒を連ねていた下町らしい環境にあり、職人達のモノづくりに対する情熱を幼い頃から肌で感じてきたことが、建築家・安藤忠雄氏の原点となった。
実質的なデビュー作「住吉の長屋」と同じく、三軒長屋の真ん中部分に位置し、敷地の形状もほぼ同じ、間口2間・奥行き8間。
安藤氏が中学生の頃、屋根裏部分を完全な2階へと増築する際の大工手伝いからはじまり、室内の改装など手を加えながら45歳を迎えるまで住み続けた。
暗くて狭く、冬に寒く、夏は暑い、そんな中でも後ろ庭から差し込むわずかな光や通風で四季を感じ、難しい住まいの中で工夫しながらの生活。
この住環境と同じく、2階の増築時、天井をはがしたときに差し込んだ光が、普段見慣れた薄暗い室内を一変させたことに衝撃を受けたことが、光の教会など後の作品に大きな影響を及ぼしている。
周辺は木工所や鉄工所など、町工場が軒を連ねていた下町らしい環境にあり、職人達のモノづくりに対する情熱を幼い頃から肌で感じてきたことが、建築家・安藤忠雄氏の原点となった。
周囲は2階建ての建物がほとんどだが、安藤氏の生家のある三軒長屋
は今も残っている
全景
今でも下町の雰囲気を残す界隈
PAGE INFO
公開日: 2011/7/10
撮影: 2011/7
作成者: Hiromitsu Morimoto