紀陽銀行堺支店(紀陽堺ビル)/安藤忠雄
Kiyo Bank Building - Tadao Ando
和歌山県に本店を置く紀陽銀行の実質的な拠点となる建物。
バブル末期の1991年はじめに計画が始動し、建物が完成したのはバブル崩壊後、景気の低迷を確実に体感できるようになった1994年だった。
同時期の大阪では、サントリーミュージアムや近つ飛鳥博物館など、大規模な安藤建築が
次々と誕生しており、紀陽堺ビルも今日では採用されそうにも無い大胆なデザインになっている。
表面積の広い建物の大部分をコンクリート打ち放しとし、低層部のガラス張りの円筒部分と、その上部に挿入された、大きく開いた風穴のような箇所のヴォイド空間に面した部分が主な開口部となっている。
周辺は10階を超えるような建物がほとんど無く、コンクリートの壁のようなこの建築は大いに目を引くものになっているが、厚みを抑えた上層部と向こうが見通せる風穴のおかげか、圧迫感を感じることはなかった。
オフィスビルとしての機能性や、テナントビルとして無難なデザインを求めるのは事業者として当然のことだが、それより増して冒険心にあふれた提案を採用するに至った、計画当時の世相を反映するような建物。
バブル末期の1991年はじめに計画が始動し、建物が完成したのはバブル崩壊後、景気の低迷を確実に体感できるようになった1994年だった。
同時期の大阪では、サントリーミュージアムや近つ飛鳥博物館など、大規模な安藤建築が
次々と誕生しており、紀陽堺ビルも今日では採用されそうにも無い大胆なデザインになっている。
表面積の広い建物の大部分をコンクリート打ち放しとし、低層部のガラス張りの円筒部分と、その上部に挿入された、大きく開いた風穴のような箇所のヴォイド空間に面した部分が主な開口部となっている。
周辺は10階を超えるような建物がほとんど無く、コンクリートの壁のようなこの建築は大いに目を引くものになっているが、厚みを抑えた上層部と向こうが見通せる風穴のおかげか、圧迫感を感じることはなかった。
オフィスビルとしての機能性や、テナントビルとして無難なデザインを求めるのは事業者として当然のことだが、それより増して冒険心にあふれた提案を採用するに至った、計画当時の世相を反映するような建物。
大きく開いた風穴
PAGE INFO
公開日: 2013/7/10
撮影: 2013/6
作成者: Hiromitsu Morimoto